2023年もよく頑張りました

あけましておめでとうございます。すっかりブログを書かなくなって、Twitter(断固として呼び続ける)も低浮上になっておりました。

まあ、普通にTLは全部追っていたし、どちらかというとSNS依存なので皆さんの近況などは「そーなんだ~」と興味深く拝見していました。ネットストーカーの素質がある。

2023年はわたしにとっては転機となった一年でもありました。ダイエットを頑張った年でもありました。

1月から始めたダイエットで約7kgの減量に成功。元が太りすぎていた感は否めませんが、自分でもだいぶ体型も変わったように見受けられます。

さて、体重記録とともに2023年を振り返りたいと思います。

 

1月>59.8kg

いやだいやだと言いながらメンタルクラッシュの原因になった部署に戻されて数か月。

暴飲暴食当たり前でここまで増えていました。なお、身長は164cm。

このままだと自分が嫌いになる……ということでダイエット開始。手始めに食事に制限をもうけることにしました。おやつ食べない、休日は朝ごはんが遅く、晩ごはんが早いため、お昼は食べないことに。

自分の仕事がなんなのかよくわからなくて、これってわたしの仕事なのか???と思いながら働くのが苦痛だった……。

と言いつつも真面目に出勤して、残業もしていました。真面目なので。

 

2月>58.0kg

誤差の範囲で減ってますね。運動はあんまりやらなかった……身体の肉が重いなって思ってました。

このころから転職について考えだす。しかし、わたしは奨学金をもらって資格をとった(学校に行った)ので、何年か働かないと返せないことになってしまうのだった。

そしてそれが何年なのかちゃんと確認していないのだった……。

つらいはつらいので、職場のみなさんも心配してくれている。が、わたしが辞めたら困るんだろうなというのは重々承知なので、思い切って相談したりができない。

やりたいことはいっぱいあるけど、こころが元気じゃないので楽しく過ごせない。

病んでたな~~~~~~~~。

暴飲暴食は抑えられるようになってきました。酒はやめられないが。

 

3月>57.5kg

いっしょに働いていたスタッフが4月で退職することが決定。そんな気はしてた。

それで産休育休中のスタッフの動き次第で職場の体制変わるかもみたいな不安なことを言われる。

なんだかなあ、と思いながら、いっそのこと潰れちゃえば楽なのでは?と不謹慎なことを考え、思い切って上司から人事に奨学金のことを確認してもらった。

学校に通った期間(1年)×2が奉公期間になるらしいので、この3月で返済は終了することが判明し、思わず口から「なんだ、辞めていいんだ」と出てしまった。上司、苦笑い。

でもそれを聞いてすごく元気が出たのはある。というか普通に考えてそうだろ、辞められると思えば気持ちは楽になるだろ。

ダイエットも楽しくなってきたので、周囲のひとたちに「今、ダイエット頑張ってるんだ~」とネタにするようになる。

 

4月>57.0kg

とりあえずの目標を5kg減の54kgくらいに設定。正直ベスト体重とかよくわからない。年もとったしなあ、と遠い目をする。

この月の頭くらいに専門職の紹介会社に登録して、担当のひとがつく。

と、すぐに求人の出ているところを教えてくれて、うーん、まだ迷う……とか言ってるうちに「連絡してみたらすぐに面接したいって言ってます!」と次の週には面接することになる。

親にはあんまりいい顔されなかったな……今のところに恩もあるでしょとか、どこ行ったって大変だし、あんまり何回も仕事辞めると癖になるよ(何回も辞めてないが)と言われ、まあでも受かるかわかんないし、とごまかしていたら「受かるに決まってるじゃん」と強気に断言されて笑ってしまう。

面接に行ったらすごい好感触だなとは思ったけど、その日のうちに内定が出てしまう。

いや、まだ今の職場に辞めるって言ってないし、引き継ぎも何も……と伝えると、いつまででも待つと言ってもらえたので、これも縁なんだろうかと思って転職することにした。

とりあえずの夏のボーナスはもらいたかったので(しれっと……)その日を最終日に決定。

上司に伝えるとき、緊張しすぎて泣いた。

 

5月>55.5kg

だいぶ痩せてきた実感があって嬉しい。ダイエットって結果が目に見えるとやる気出ますよね。まあ、ダイエットに限らずなんでもそうかもしれませんが。

このころにはもうわたしの退職はみんなの知るところとなり、なんかやたらミーティングとかやってた。わたしより少し前に産休育休に入るスタッフもいたし、産休育休から帰ってこないスタッフもいた(ややこしいが別人である)。

ひとりでカウントダウンしてたな~有給もとる予定だったので、実質6月中旬から来ないことになる。

めっちゃ働いていた時期。引き継ぎをする相手はいないので、全部わかるように書面にして残してきた。もう辞めるのに業務改善のミーティングとか参加して、わたしえらい~って思ってた。こころの中では面倒だから帰りたかったけど。

 

6月>55.6kg

ちょっと停滞期。食事はストレスなかったけど、運動とかはしていなかったので、減らず。まあでもそんな焦ってなかった。

新しい職場のユニフォームを試着して、ズボンがちょいきつい気がしたけど、ここからまだ痩せる自信があったので、そのままサイズあげずに受け取ってきた。

辞めるんです~のご挨拶を各部署にして、「こんなこと言ったらいけないと思うけど、そりゃあそうだよね」とみんなに慰められる。

有給期間中に久々に旅行に行って、関東付近の友達と毎日飲み歩いた。みんな言わないけど人生いろいろあるよなあと思う。

あと、久々に親戚とも会いました。いっしょに買い物行って、ランチして、という叔母孝行。孫がみいちゃんみたいに育てば、将来も遊んでくれるかなと言われて、それはだいぶ難しいだろうと思ったけど言わなかった。

 

7月>54.3kg

前半は有給だったので、遊びまくっていた。あまり記憶がない。優雅な生活だったとしか。

中旬から新しい職場での仕事スタート。そこも産休育休中のスタッフがいて、しっちゃかめっちゃかなんです、という感じだったので、即戦力を求められてひく。

慣れない環境で普通につらいけど、専門職っぽい仕事がやっとできる喜びはあった。

 

8月>55.3kg

普通に暑さで夏バテして、体調が悪かった。忙しいは忙しいけど、産休育休中のスタッフが戻ってきてくれて、すこぶる頼りになったので嬉しかった。

「どんどん経験積ませろ」との命令のもと、どんどん仕事がやってくる。

業種が変わったわけではないので、前の職場ともがんがんやりとりして、本当に残らなくてよかったと実感する。

担当の仕事ができたので、頑張ろうと思いつつ、威圧的な上長が苦手で震えていた。

 

9月>54.8kg

体調がめっちゃ悪いのは普通に疲れもあるのでは疑惑。相変わらず上長が怖くて、接することを逃げまくっていた。悪いひとではないんだけど、怖いんだよ、話しかたとかさあ……。

アイスとか食べたいな~と思うものの、そんなに食べなかった。食べる習慣がないので、おやつを欲しなくなる。

この月、確か、急遽当直をやることになり、何もわからず泊まって仕事したんですけど、そのときの対応が褒められて、以降月に1回もしくは2回程度の当直業務が増えた。

あと、仲良くなったばかりの事務のひとが異動になってしまって、しょんぼりしてた。

 

10月>53.6kg

痩せてきた実感あり。きつかった制服のズボンがぴったりになる。

このころはわりと病んでて、というのも疲れてて、有給ないってきついんだなと当たり前のことを実感する。当直の次の日は休ませてもらってたんだけど、そうすると欠勤になってしまうので、そのぶん祝日とか土日に出勤して帳尻合わせしていて、それがそこそこきつかった。

体調不良がデフォになるものの、仕事にはわりと慣れてきた気がする。

愚痴を言い合えるようにもなったし、人間関係的には恵まれている。

 

11月>54.6kg

休日は一気に体重が減り、平日そのぶん増えるの繰り返し。たぶん、休日の一日2食生活、おやつなしってすごい効果あったんだと思う。

徐々に仕事に積極的になったので、歩き回ることも増えた。いっぱい歩くと自信になる。

仕事はだいぶ慣れてきたけど、どうしてもつらくて2日ほど欠勤してしまった。肉体なのか、精神なのか謎だけど。

当直の日のみ、おやつ食べていいことにルールを定めた。なぜなら眠れないとおなかがすくので、そしてふらふらして働けなくなるので。

 

12月>52.5kg(12/31夜時点)

痩せた!!!と嬉しくなって、服や下着を買い替えた。メイクも楽しくなってきたころ。YouTubeとかインスタの垢抜けなんたらみたいなのめっちゃ見てた。

仕事はめちゃくちゃ忙しかったけど、慣れたのかなんなのか「駆け抜けた感」があって楽しくなってきた。

あと、威圧的な上長にも慣れて、仕事の話なら怖がらずに話しかけにいけるようになった。

わたし、仕事できるんだったわ~モードですっかり自信回復した。

1月になったら有給もつくし、ほっとしている。

 

以上2023年振り返りでしたが、どう見てもワーカホリック、仕事しかしてない30代女性、焦ってダイエットだの美容だの興味を示すの年でしたね……。

今年こそはワークライフバランスを意識して過ごせたらいいなと思います。

しいたけ占いさんが、やりたいことをみんなでわいわい語るといいと言っていたので(おとめ座)、この場を借りてやりたいことをがんがん書いていきます。不可能なものも含めて!!

 

・50kg切りたい

・家買いたい

・旅に出たい

・同人誌出したい

・友達とお泊りしたい

・自然に恋をしてみたい(ノットマッチングアプリ

・断捨離したい(家具含めて)

・脱毛したい

・オリジナルで小説書きたい

・昇給したい

・温泉行きたい

・ピクニックしたい

・なんか資格欲しい(勉強したい)

・フットワーク軽くなりたい

・ミュージカル観劇したい

・歯科矯正したい

・将棋強くなりたい

 

こんなもんかな、今のところは。

2024年も頑張って生きていきますので、みなさんよろしくお願いいたします!!!

平和な終わりに向かって

退職届は案外あっさりと受理された。

 

上司や人事のところで留まっていた期間のほうがよほど長く、なかなかトップに報告できずにいたらしいのだが、トップは思いのほか「あら、そうなの、じゃあ仕方ないわね」的な反応だったようだ。

もしかしたら、薄々察していたのかもしれないが……。

無事に有給も(全部はさすがに無理だったが)使える予定になったので、あとは少しずつ残っている仕事を片付け、引き継ぎをすればよい。

 

引き継ぎって誰に何を。

 

まあ、いい。困るのはわたしじゃないから。

誰が見てもわかるように仕事の流れを文章にして残していこうかと思っている。

 

仕事にはやりがいと、それに伴う対価が欲しい。

考えてみたら当たり前の話だ。他の従業員のために働いているわけではない、もちろん助け合いは必要だけれど、自分のことよりも他のひとの目を気にするようになったら、絶対に心身ともに衰弱していく。

衰弱すると、パフォーマンスも落ちる。結果的に自分の評価も落ちるし、自信も失う。

 

次のところは初任給は今のところより1万円くらい上がるだけなのだが(基本残業がないらしく、残業代のぶんぶっちゃけ手取りは減ると思う)、毎年きちんと人事評価をして、見合った昇給を約束すると言ってくれたので、今のところの役職つかないかぎりは給料なんか上がりませんし、みたいなスタンスよりもずっとやる気が出る。

まあ、入職してみないとわからないことだけれど、頑張りたいと思う。

 

働いて、給料をもらって、それで何がしたいか。

ぼんやり考えてみたら、家が欲しいなと思った。

 

30代半ばになり、おそらくわたしはこのまま結婚しないだろうなという確信がある。

実家暮らしではあるが、我が家は借家だ。生まれたときから住んでいるので、あまりその実感はないが、いつかは出ていくときが来るだろう。

父は亡くなっているし、母と兄と三人で暮らしていくために、家を建てる、もしくは買うことを目標にしてみたらどうだろうかとふと思い付いた。

 

転職してしまうので、勤続年数はここで一度リセットされる。

ローンを組むときにひっかかる可能性がある。

 

3~5年、次のところで頑張って、お金がある程度貯まったら。

 

まだ夢みたいな話であるけれど、そのつもりで頑張ってみようかな。

 

というわけで、毎日それなりにいろいろ考えて生きている。

夜はちゃんと眠れているし、朝もちゃんと起きて仕事に行く、休日はウォーキングをしたり、本屋でうろうろしたりしている(わたしはこの世のどこよりも本屋が好きなのだ、ただし同人誌即売会はイベントなので別換算)。

健康になった、とほっとしている。

 

有給消化期間に入ったら、久しぶりに東京に遊びにいこうと考えている。

友達に会いたいのと、そういえば行ったことのない浅草をぶらぶらしてみたいのだ。

 

会えそうな方は連絡ください。>友人各位

その後の話

転職することに決めた。実はすでに次の職場から内定ももらっている。

 

前回の記事をアップしてしばらくした頃に、体調はもう戻ったのだから前の部署に戻るように言われたのだ。

まあ、実際人手があるわけではないし、もともとそちらの部署で働くことを前提に人員配置も決められていたのだから、仕方のないことだ。

仕方のないことだとわかっていても、涙が止まらなかった。

さいわいわかってくれるひとはたくさんいて、それは本人のためにならないと進言してくれるひともいた。それでも決まったものは決まったものだからと言われ、心底がっかりしている自分がいた。

 

無理せず、また働くしかないか、と無理やり納得させながら、あと何年こうして頑張らないといけないのだろうか、と思った。

端的に言うと、疲れてしまったのだと思う。

 

きっかけと言えるものは特になかった。

なんとなく、次に働けるとしたらどんなところがあるだろうか、と求人をチェックするようになったが、実際に動くのは面倒だなあという気持ちも正直あったので、スマホで求人サイトを眺めながら、ふーん、と思っている時間のほうが長い。

休日に、転職エージェントについて調べていて、流れで登録してしまった。

以前転職エージェントは使ったことがあって、ただそのときは結局退職を思いとどまり、さらにエージェントからの頻繁な電話にうんざりしたことを思い出し、やっちまったな、と思ったが、まあそのままバックレてもいいわけだし(全然よくないが)とあまり深く考えないようにしていた。

何回か知らない電話番号から着信があったあとで、メールが届いた。詳細についてヒアリングしたいので、電話できる日時を教えてほしいと書いてあり、わたしは正直に今すぐどうしても決めたいわけではないことを伝え、休日(わたしの仕事は平日に休みもあるのだ)がいつか答えた。

そこからなんとなく憂鬱になってきて、ああ、面倒くさいことになってきたなあ、とぼんやり思っていた。

ヒアリングはスムーズに進み、急いで探しているわけではないことを再度伝えた。

しかし、その日の午後に、担当者からまた電話がかかってきた。

曰く、わたしの条件と合致する職場があり、試しにアタック(?)してみたところ、ぜひ面接をしたいと話しているとのことだった。

少し悩んだが、まあ1社目で決まることはあまりないし、面接は久しぶりなので慣れておいたほうがいいだろうと思い、とりあえずで受けることにした。

一週間後の同じ曜日に、緊張しながら面接に挑んだ。職場は少し今のところよりは遠くなるが、駐車場もきちんとあり、働いているひとたちの雰囲気もとてもよかった。

面接では比較的思っていることをきちんと話すことができたように思う。

なんとなく、高評価を受けている自覚があった。

その後、エージェントと電話で話し合い、確認事項を伝え、それでも良いのならばわたしは入職したいと思うと話した。

 

そして、なんとその日のうちに内定の連絡がきたのだ。

 

さすがに展開が早すぎて、エージェントも戸惑っていたが、決まってしまったものはどうしようもない。ただ、わたしは退職の意思をまだ現職場に伝えていないので、入職日だけはこちらにあわせていただきたいと正直に話し、折り返しを待った。

もちろん構わないと返答があったのもその日のうちのことだった。

これはもうご縁があったということだ、と感じた。

翌日、直属の上司に洗いざらい全部を報告した。

 

退職届を出し、ヒアリングも行われたが、次が決まっている以上引き留めることはできないというのは上司も感じているようだった。

今は受理の連絡を待っている。そして、わたしの仕事を誰に引き継ぐのか、同僚たちにはいつ伝えられるのか、そればかり戦々恐々としている。きっと、引き継ぎする相手なんか来ないのだと思う。

 

このところ続いていた不眠や過度な緊張は、退職届を出したとたんに噓のように消失した。

こんな簡単に済む話だったのか、とばかばかしく思うときもある。

退職予定日まであと3か月近くあるが、目下気になるのは退職金がどれくらい出るのか、有給は少しくらいは使ってもいいものだろうか、などの楽しいことばかりだ。

できれば穏便に退職したいと考えている。訴えたら勝てそうなことをたくさん経験してきたけれど、何もかもが苦痛ばかりではなかったから。

 

6年半、いろんなことがあった。

たくさんのひとたちを見送ってきた。

わたしのことも、その中のひとりとして今後誰かが思い出すかもしれない。

ただ、わたしはこれからもまだまだ長く働かないといけないのだ。

それには、今の職場ではきっと無理だと思った。きちんとキャリアを積みたいと思った。

 

穏やかに、残りの日々を過ごしていけたらと願っている。

頑張ろうと言える力

復職してから8か月と少しが過ぎた。今の部署にもだいぶ慣れ、仕事も少しずつ任されるようになってきたところだ。

はっきり言ってこんなに毎日を穏やかに過ごせるようになるなんて思っていなかった。前の部署には不満はあれど、辞めたいと思うほどではなかったし、まだ頑張れると思っていた(実際主治医にもまだ頑張れると主張して叱られた)。

わたしは見栄っ張りでええかっこしいなので、しんどくても頑張ってしまう。心の底ではすごく嫌でも、出来ない人間だと思われるのが怖くて、出来ます、やります、わたしがやりますから大丈夫です、と必要以上になんでもかんでも背負ってしまう。

と、休職中にやっと思い知った。ほんとうはそんなに頑張らない方がよかったのに。

頑張ることは基本的には美徳だとされる。それはそう。こいつほんとうに頑張らねえな、と思う相手をひとは評価しない。ただし特別な才能のあるひとは除く。

その特別な才能がわたしにはなくて、それがきっと実はものすごいコンプレックスで、誤魔化すために、出来る人間だという評価を求めすぎていたのだと思う。

要するに自己承認欲求を満たすために、自分の身を削っていた。他にどうしたらいいのかわからなかった。

 

今の部署に異動になって、わたしはもともと訳ありできたひとというポジションを手に入れた。それは悲しかったし、辛かったけれど、上司も同僚もそこに触れることはあまりなかった。こっちが拍子抜けするくらい。

しばらくして、普通に仕事を振られるようになった。もちろん過重な労働ではなくて、他のひとと同じように段階を踏んで覚えていく仕事だった。

上司はわたしに、体調さえ問題ないのならば、うちで戦力になって欲しいと言ってくれた。こんな温い働き方をしている、と思っていたのはわたしだけで、それなりに評価されていたとわかり、途端にエネルギーがわいてきた。

わたし、仕事出来なくない。頑張りすぎなくらい頑張らなくても、ちゃんと仕事出来る。

そのことがわたしの自信になった。

同僚たちはみんな穏やかで、どんなに忙しくても苛々した態度をとらなかった。忙しいね~っと苦笑いをしながら話すことはあったけれど、ピリピリした空気になったところを見たことがない。それがすごく救いだった。

 

今の環境に満足しているし、同時にもう前のようには頑張れないだろうなとも思う。

 

なんにしろ、世間には疲れているひとがたくさんいる。

やりたいことはいっぱいあっても、生活するためにはやりたいことだけやってはいられないし、そうしているうちに結局そのやりたいことをやる時間や体力が削られる。本末転倒だと思いながらも、日々、今日も頑張ったわたし、という満足感はその事実をうまく誤魔化してくれることがある。

社会に必要とされてるわたし、とか、手を抜かないわたし、とか、ちゃんと自立しているわたし、とか、ひとによって言い方はいろいろあると思うけれど、どれもなんとなく無理をしている自分に言い聞かせる言葉なのかもしれないと最近思う。

ていねいな暮らし的な意識高い話ではなく、日常の中に、それは潜んでいる。

 

自分の思う「頑張る」と実際の「頑張り」はちゃんと釣り合っているだろうか。

いつの間にかわからなくなっていることが多くて、必要以上に頑張ってしまっていないだろうか。

頑張りたい、と思う気持ちはだいじ、頑張ってる自分を褒めるのもだいじ。

でもここぞという場面で「よし、頑張ろう」と言うときって、同じ頑張る気持ちだっただろうか。

 

以前ブログでメンタル回復のためにやったことを書いたのだけど、実を言うとあの中にあったものの多くは現在はもうやめてしまっている。

手帳に日記を書くのも義務みたいに感じてストレスだったのでやめたし、お花を飾るのも部屋で過ごす時間が短くなったのでやめた。断捨離はもう捨てるものもないし、じゃんじゃんお金を遣うようなこともやめた(最近少し家計の見直しをしている)。

生きていくうえで、そんなになんでもかんでも真面目にやらなくても、また始めたくなったらやればいいし、もう嫌だと思ったらさっさとやめてしまえばいい。

と、考えるようになったら毎日がすごく楽になった。奇跡の大復活だった。

 

今しんどいひとたちに、何か伝えたくてこれを書いたわけではなく、たぶん自分でいつかわかるときが来るんだと思う。頑張ったら疲れる、そんなの当たり前のことだから。

その中で、自分がほんとうに頑張りたいところで力を出せるようになったら、きっとなんとなく元気に過ごせるようになる、といいなあと思いを馳せる。

メンタル回復実験事例集

抑うつ状態の診断書が出されて一か月休職してから約3か月。

最近少しずつ自信を取り戻しつつあるので、自分にとって回復に役立ったかなあと思えることをまとめてみます。

 

早寝早起き

これは大前提として絶対やるべき。夜起きてるとろくなこと考えない、そして朝や昼に寝てると自分がダメ人間みたいに思えてくる。

ついでに起きたら何も出かける用がなくても着替えたほうがいい。

形だけでも普通に社会生活送ってる風にすると、それだけでも自分は「全然大丈夫だ」と思えます。

 

断捨離

医者にはあまりいい顔をされなかったけど、わたしはやってみて「効いた」なって思う。

頑張りすぎて疲れてるんだから、疲れることしたらダメだというのが主治医の言い分でしたが、こつこつ作業したらしただけ結果が目に見えるのがよかった。捨てに捨てまくり、開かずの押入れを解放したときの爽快感ときたらたまらんかったです。部屋がきれいになると、生産的なことに時間を使ったという気がしてすっきりしました。

 

好きなことにお金を遣う

ゲームも買ったし、本もまんがも我慢せずに買った。一か月で10万くらい趣味に費やしたと思う。散財に近いものがあったけど、自分に制限をかけないようにしていた。

ただし、わたしは富豪ではないのでそんな生活は続けられないです。仕事復帰してからは際限なくお金は使わなくなった。

というか急に物欲がなくなった感あったな。たぶんストレスが軽減されるとアホみたいに買い物したくならないんだと思う。

 

お手入れに時間と手間をかける

断捨離と同じ心理効果かもしれない。早めにお風呂に入って(湯船につかる)パックしたり、トリートメントしたり。ちょっとこころに余裕が生まれるので、安眠にも効きます。お風呂入ってお手入れしたら、その日は一日おしまい、ということにしていた。

 

花を飾る

別に育てなくてもいいです、枯らしてしまうと落ち込むので。

花瓶に買ってきた切り花をただ飾るだけでいい。こういうこと言うと怒られそうですが、切り花は枯れたら捨てればいいと思っていました。あまり自分にノルマを課さないほうがいいけど、ちょっといい暮らし風のことはしたいというときにちょうどよかった。

花を買うのも楽しかった。テンションあがる。

 

歩く

運動が不得意なので特別なことはできないのですが、やっぱりなんだかんだ身体を動かすのは最強です。

わたしの場合は最寄の図書館まで歩いていくと、往復で6000歩くらいになるのでそれでいいことにしていました。ただの散歩でもいいんですけど、目的がないと億劫になると思うんですよね。あとは神社に行っておみくじをひく、とかにしてました。

 

配信動画一気見

そのときの気分でいろいろ。時間はあるので気になるものは片っ端から見てました。ネトフリの海外のドキュメンタリーが好きだったな。感動ものじゃないのにふとしたところで泣けたりして。

わたしは仕事に関わることをすると涙が止まらなくなったのをきっかけに病院に行ったので、涙はそれまでもだばだば流しまくっていたのですが、病んでて泣くのと感性に触れて泣くのとでは気持ちが全然違うんだとよくわかりました。

 

日記を書く

ここで言う日記はこのブログとかじゃなくて、誰にも見せない自分だけの日記。わたしは手帳に短いメモみたいな日記を書いてました。厳密には日記というか、何があったか振り返り覚書なので毎日続けて書いていたというわけではなく何日かまとめて「この日は●●があってこう思ったな~」とか思い出して書いたりしていました。

やっていてよかったと思ったのは回復してきてからですね、Max病んでたときは「何が辛いのか自分でもわからないけど辛い」と思ってたんですが、あとから当時の日記を読み返したら「普通にそれは限界こえてたんだよ……」とびっくりして、びっくりしている自分に気づいて、「あっこれは回復してきたってことか!」と嬉しくなりました。

あとは職場を訴える必要が今後あるかもしれないと思って書いてました。今のところ訴えずに済みそうですが。

 

嫌な気持ちになる相手とは一切連絡をとらない

職場とのやりとりはすべて郵送にしてもらっていました。電話は最初の数回だけで、話しているうちにパニックになって苦しかったので、ビジネスライクに書面を送りあうだけにしてもらって(時期的に年末だったので提出しないといけない書類があった)今の職場環境だの同僚だのの話も耳に入れないようにしていました。

わたしは復職にあたって一時的に避難する必要があるという上の考えもあり、別部署に出向扱いになったので、元いた職場が今どうなっているのかもよく知りません。風の噂的に大変そうだというのは聞きましたが、詳しくは確認しないつもりです。

 

どういう暮らしに憧れるか考える

インスタや雑誌、テレビなどで見たときに「こういう風に生活できたらいいなあ~」と思えることは何なのか。つまるところ自分にとっての「満足いく暮らし」「幸せな暮らし」に必要な要素って何だろうって考えてました。

当たり前ですけど今が絶対一番辛いから、ここから回復したらもっと幸せになれる、という希望を確認していたとも言えるかもしれない。今、何が足りないか、何を努力しているか、何が好きか、って考えていたら、案外わたしが望む理想の暮らしってそんなにハードル高くないんじゃないかと思えて気が楽になった。

スーパースターになりたいわけじゃないんだから、自分のできることをやっていたら叶いそうな気がしたんですよね。

 

 

 

 

仕事復帰して、しばらくはやっぱりまだ無理をしている感じがあったけど、それでもきちんと出勤しているということだけで偉いと思うようにしていました。

みんなが残っていても定時でさっさとあがるようにしていたし、勤務中緊張しているのか他のひとから見てサボってるように見えるんじゃないかと不安になったりもしたけど、最近になって上司(今の)と話すことがあって。

「体調を見ながらでいいし、辛かったら言ってくれていいけど、前のところにどうしても早く戻りたいとか思ってないなら、ここで本格的に仕事を覚えていってもらえると助かる。急にあれこれ業務を増やすってことじゃなくて、うちも人手が足りているわけじゃないからあなたが今急にいなくなられても困るって他のメンバーからも希望が出てるんだよ」

と言ってもらえて、「思っていたよりもわたしは仕事ぶりが認められているのでは?」と急に思えたんです。それと同時に「わたしは仕事ができないから病んだわけではないのでは? 仕事ができるから、他人のことまで押し付けられて、いっぱいいっぱいになったはずでは?」と初めて腑に落ちた。

その瞬間、「無理はしない、でも、もうちょっと頑張れるかもしれない」と自信が取り戻せた気がした。今まで、わたしは自分に自信がなくなってしまっていただけで、でもわたしが悪いわけではなかったんだからもっと自信を持っていいんだ、と気が付いたような感じです。

 

その頃から徐々に積極的に仕事にも取り組めるようになって、主治医からも「溌剌とした印象になってきましたね」と言われるまでに。

休職期間が無駄だったわけではもちろんないですが、わたしはやっぱり仕事するようになってからのほうが回復には近づけたと思っています。

元気になってきてから、毎日楽しいことが増えた。

もう、健康第一(心身ともに)の意味が身に染みてわかりました。

メイクしたり髪巻いたりするのも億劫じゃなくなって、新しいワンピースまで買ってしまった。

わたしはそんなに若者ではないですが(お察しください)たぶんまだまだ人生長いし、これからのことを考えたらここでじっくり自分を大切にするための術を探したこともいい経験になったのかもしれません。

病んだからって一生苦しむとは限らないし、仕事復帰できなかったとしても生きていく方法なんていくらでもあるし、わたしにとって快適な暮らしが他人にとってもそうでなくても別に関係ないし。

洞窟の中で弱った獣が傷を癒すイメージで、今は自分のことだけ考えて過ごそうと気楽に考えています。

ぼろぼろだったなあと去年の秋ぐらいを思い出して、でも余裕で生きているから大丈夫だったってことか、と冷静に思えるくらいには元気になったから、今がMax辛いぜってかたはひとつの事例として参考にしてもらえたら嬉しいです。

 

さて、明日は会議もあるし今日はだらだら本でも読みながら早めにお風呂に入ろう。

2021年総括

昨日でようやく仕事納めもしてきたので、そろそろ今年の振り返りでもしてみます。

 

1月

独り暮らし継続中。雪のない冬を生まれて初めて経験した。

国家試験に向けて追い込み勉強に励むかと思いきや、毎晩お酒を飲むのはやめられないだめな大人の見本。

学校は感染対策のため、zoomを使った授業を導入し始めたので、画面開いたまま別のことしたりしていた。

試験に落ちたらもう仕事を辞めるしかないと思いつめたり、もう何もしたくないと思いつめたり、情緒不安定だった。

 

2月

2/6、2/7に国家試験があった。会場が遠いのと、遅刻したらどうしようという不安にかられてホテルをとる。

全然眠れず、試験前は毎日1~2時間横になって目を瞑ることを睡眠としていた。

仕事を休ませてもらったので試験のことだけ考えてればいいのよかったな。

試験終了後、自宅でシャンパンと宅配ピザでひとりおつかれさまパーティーをしながら、自己採点。合格確実の点数だったのでハイになってシャンパンボトル一本飲み切る。

職場のみんなが興味津々で試験のことをきいてくれる。

 

3月

実習があった。バスで30分ほどのところにある施設にて2週間指導してもらう。

職員の方々はとても優しく、勉強になった。

あと利用者さんたちが実習生大好きな雰囲気のところだったので、想像以上に大歓迎されてむしろ戸惑う。

実習中に合格発表があり、スマホで確認し、家族と職場に合格していたことを報告。涙が出るほど嬉しかった。

学校も無事卒業し、あとは実家にいつ帰るかの話を職場とつめるだけ、という段階でわたしの後任がいないことが問題になり、4月いっぱいは残ってくれと言われる。

 

4月

学校も勉強もないとなると、仕事だけでいいんだ~らく~~~~みたいな変な感じになる。普通はそう。

でもせっかくだからなんか勉強したいな~と無駄にロシア語の本とか買っていた。

あとそう我慢もしていなかったくせに、やたら本や漫画を買って読む生活。

こっちにいるうちに、と友だちとコナンの映画を見に行った。別に地元でも見れるけど、友だちと見たいので。

月末に引っ越し。1年と2か月ぶりに親に会う。実家にいると、今までのことが全部夢だったかのような感覚になる。

 

5月

古巣の職場にジョブチェンジして戻る。なぜかやたら緊張した。

あと働いてみると思っていた以上にプレッシャーかけられる。あなたはプロなんだから、という言葉の重さ。

慣れない仕事にわたわたして過ごし、休日はぐったりしている状態。

大丈夫です、がんばります、が口癖になっていた。

 

6月

営業回りも行くことになり、悩む。

イレギュラーなことが続いてなかなかハードな生活。

体調もあまりよくなかった。職場の人間関係に振り回されつつも、元気ですと連呼していたら心配された。

 

7月

突然出張を命じられる。いいけど。

職場の人員不足が慢性的になり、わたしの本業はなんなのだ状態で駆け回る。

気分転換!!と言って部屋の大掃除をしたり、古い本の処分をしたりと休日に何かしら生産的なことをしたがる。

将棋の勉強をしたくて、本を読んだりしていた。

 

8月

わたしがなんとか乗り切らねばと気負いすぎて疲れてしまう。でも乗り切った。

今後の生活について考え始める。貯金をしようと日々の支出見直してみたり、住宅ローンについて勉強しだしたり。

やや、夏バテしつつも駆け回るが、職場の人員不足は解決せず。

 

9月

人員不足どころか職員が今月いっぱいで二人辞めるということに。

なぜか自分の仕事よりも他人の仕事を優先してやっている状態。

普通に辛い。

誕生日を迎えて、ひとつ歳をとる。そろそろいい歳になってきた。

上司が体調的な問題で2週間休むことになる。気を遣うけれど、気を遣いすぎるとみんなに怒られるので、どうしたらいいかよくわからない。

 

10月

体調不良が目に見えてくる。

他人のイライラにあてられるといっぱいいっぱいになるくせに、大丈夫です、わたしやります、と言ってしまう。

どこかでリセットしないとな~と思いつつもどうしたらいいかわからない。

将棋の勉強を地味に続けている。とりあえずルールは覚えた。

やりたいことはいっぱいあるのに、なんにもできないなあとぼんやりして過ごす。

 

11月

他人のミスや無断欠勤の穴埋めをわたしがするのが当たり前になっている状態で、頭が真っ白になることが増える。

仕事している間は目の前のことを必死にこなすしかないし、気が張っているからいいけれど、ふと気が抜けた瞬間やひとりになったときに涙が止まらなくなるという謎症状が出るため、病院に行った。

一か月仕事を休むように言われ、言われたとおり休みの申請をしたが、みんながいかに大変な状態か口説いた後で「でも休んで元気になってね」という上司の言葉が地味にダメージで、もう何も考えないでおこうと思う。

休みの間はゲームをしたり読書をしたり、大掃除したり、断捨離したり。

 

12月

職場環境がよくないので復帰は認めないと医者に言われ、職場に連絡したら異動させるから大丈夫、と復帰させられた。

ずっと休んだまま年をこすのは嫌だったので、まあいいかの気持ち。

自分的にはだいぶ回復したような気がする。改めて、確かに職場環境よくなかったな~としみじみ思う。

まだ慣れない環境なので変わらず気は遣うけど、勉強になっている感覚はあってほっとする。

 

仕事漬けの一年。怒涛でしたね、ってフォロワーさんに言われたんですが、こうして見るとほんとうに怒涛だな。

長く勤めていて、仕事が楽だったことはほとんどないけど、辞めずに済んでるからまあわたしもよく頑張っているよ。

 

あと今年はBL以外の本もいっぱい読んで、それはそれで楽しかったな。

電子書籍でどか買いすると荷物が増えないということを学んだので、あほみたいに遣ってしまった。

その一方でそろそろ自分の将来のことも考えないとなと思って、家の買い方みたいなのを調べまくってました。

貯金も全然ないのでまだ先のことですけど、ローンのこととか考えると5年以内に何かしら動きたいと思います。

将棋は竜王戦を見たり、詰将棋の本を読んだりまでハマりました。

創作関連としては、地道にリハビリというか短い話を書いたり、過去に書いたものを手直ししたりしています。

もう少し余裕が出てきたら、じゃなくて、今やりたいことは今やっちゃおうの精神って大切だなあと最近とみに思う。余裕なんかいつになってもできないもん。

 

今年は実家で年越しなので、家族で過ごせるの嬉しいです。

皆様よいお年を!!!!!

話せば長くなります

大変ご無沙汰しておりました。

ブログは止まり、ピクシブの更新も止まり、ツイッターのオープン垢も止まり、このひとオタク卒業したんだろうか……ってなりそうな(実際はそこまでみんな興味ないかと思いますが)状態が続いていましたが、恥ずかしながら戻ってまいりました。

ツイッターの鍵垢のほうではほぼすべての状況を実況していたようなもんなので、昔からの付き合いの方々は「急に何よ」というお話ですが、まあちょっと聞いてください。

 

・仕事の話

転職したい仕事辞めたい、と前々から騒いでいた件ですが、結論から言うといったん異動して、また同じ職場に戻りました。ただしジョブチェンジしました。

あのまま同じ仕事を長く続けるのは無理でした。精神的にも、肉体的にも、金銭的にも。

でもわたしにできる仕事って探してみると、実はあんまりなくて、年齢的にも何のスキルもないのに転職厳しいなあ……と少し諦めかけていたんですが、職場の先輩にスキルアップしたいと相談したところ、奨学金制度のことを教えてもらって、なんとまるっとただで資格取得のための学校にも通えて、その後はその資格を活かした部署に配属してもらえると言うのです。

このまま働き続けるよりは、逃げかもしれないけど(ていうか逃げなんだけど)やりたいことがあるので、っていって合法的に今の職場を離れてみるのもいいのでは???

しかもちょうどよく、関東の部署で欠員が出ていて、打診してみたら「そういう事情ならうちで昼間働いて、夜間学部のある学校に行くとかどう??? 実習先もいっぱいあるし、休みも融通するし、ていうかうちももうほんと即戦力が欲しいから法人内で異動してきてくれるなんて大歓迎!!!!」と言ってもらえて、これは……合法的に都会で独り暮らしをするチャンス!!!!!!

周囲からは「急にそんな極端な……」と呆れられましたが、これを実現してしまったという寸法です。

関東の部署はとても楽しかった……ほんとうにいろいろお世話になりました……。

 

・資格の話

わたしの取得した資格は【精神保健福祉士】という国家資格です。

大卒だったので、一年間専門学校の夜間のクラスに通い、実習を行い、無事に試験もクリア。

国家試験前はメンタルずたぼろで泣きながら勉強してましたが、試験終わって帰ってきて、宅配ピザとワインでひとりお疲れ様パーティーをしたときのあの解放感は忘れられません。絶対変な脳内物質出てた。

変な話、何をちゃんと最後までやり遂げたことってなかったので、いい人生経験にもなったと思います。

ここ(あとツイッターも)を勉強垢にするつもりは一切ないので、興味のあるひとは個人的に聞いてください。

 

・実家に結局戻った話

ほんとうにお気遣いなく、事実として読んで欲しいのですが、関東で独り暮らしを始めてすぐくらいのときに、実の父が亡くなりました。

あんまり突然だったので、わたしもまったく理解できず、たまたまいっしょにいた友人に「とにかく職場に連絡して、新幹線の切符とって、帰るんだよ! いいね!!?」と指示されて、そっか、帰らないとだ、となったくらいです。

これまでの人生で実家を出たのなんてこれが初めてだったのに、その途端に、死ななくても、というのが正直な感想でした。

最期に立ち会えないとか、そりゃ働いてたらあることだけれど、でもなんか、自分のわがままで家を出て、そのせいで話も出来ずにもう会えない、とかぐるぐる考えてしまい、それでもどこか現実感がないから「お父さんが見てるよ」とか言われても、いや、死んだからって急になんでもかんでも見通せるようにはならんやろ……ってマジレスしてしまったり、なぜか気分転換に買い物行くか~~~って大量に服買いに行ったりしてました。

そこから約一年経って、資格もとって、配属部署どうする???って話が現実的になったところで、一回実家に帰ろう、と自分から決めました。

母や兄に会いたくなりました。いっしょに暮らそうと思いました。

いつかまた、自分のためだけに暮らす生活をしたくなるかもしれない、独り暮らしをしている間は不便ではありつつも自由だったし、そこそこ楽しかったのはほんとうなので。

それでも今は、家族との時間をもっとちゃんと大切にしよう、というか向こうがどう思ってるかわからんがわたしはいっしょにいたい、親孝行とかそういうことじゃなくて、まだわたしは家族といたいんだ、とわかってしまったのでした。

自立できてねーなーとかもちょっと思いましたが、まあいいか、と。

どうせ奨学金の奉公期間が終わるまでは転職とかも出来ないし、だったらその間の時間は猶予期間としようと、ぶっちゃけ将来のビジョンとかそういうものを先送りにしているのでした。

 

・創作の話

今は昔のように「今すぐこれを書かなければ!!!! うおおおおおお!!!!!!!」というパッションは、正直ないです。

それでもやっぱりわたしは何かを書きたいひとでいたい、というか。

上述した、試験終了後の解放感って、脱稿ハイとすごく似ていて、わたしはその瞬間がすごく好きなのです。

書いたものを誰かに読んでもらえるのも嬉しいし、ああだこうだ言い合うのも好き。

話題の同人女の感情シリーズ、わたしはわりと賛否の賛のほうなんですが、あの漫画を読んでいると「わ、わたしも渾身の小説を書きたい……ていうかイベントに向けて原稿をしたい……!!!!」となってきます。

あと、このブログに書いても読んでいらっしゃらないかもしれませんが、半年くらい前にオープン垢のほうのマシュマロに長文の感想を頂いていたようで(すみません、今日見て知りました……ありがとうございました!!)わたしの書くものを「好き」と言ってくれるひとがいるって、なんかすごいことだよなあ、って泣けてしまいました。

少しずつ、また書いていこうと思います。わたしはわたしの好きなものしか書けないので、感想を頂くと「わ、同じもの好きなひとだ!!!!」と感動するのです……。

 

・余談

仕事して学校行って勉強して家事やって、という期間はたった一年だったのに、仕事だけしてたらいい今の生活が時間余りすぎてびっくりしています。

何かいい具合にハマれるジャンルが欲しいなあ……あなたからの熱い布教、お待ちしております。