でも憎いまではいかないしどうでもいい

突然ですが、みなさんには「嫌いなひと」っていますか?

 

ここには「まあ、嫌いってほどじゃないけど好きではないっていうか、苦手っていうか、悪いひとじゃないとは思うんだけどちょっとくせがあるかなって感じで、いや何されたってこともなく、ただちょっと気遣うっていうか」みたいな相手も含みます。大人の思う「まあ、嫌いって以下略」は普通に嫌いなひとだからです。

 

わたしには、います。

というか、嫌いじゃない、嫌いとか思ったらいけない、と言い聞かせていたのを最近やっと「もう嫌いでいいじゃん!!!」と認めたひとがいます。

 

 

 映画化もされたすーちゃんシリーズより。

 

すーちゃんは温厚で真面目です。

そしてちゃんと大人なのでカチンとくることを言われても「はああああ!????」とかブチギレたりはしないのです。

 

しかしそれによってすーちゃんは疲弊して、毎日悪口なんか聞きたくない、ちくちく嫌味を言われても言い返せない自分に落ち込む、とどんどん弱っていってしまいます。

 

このあたり、社会人なら特にあるあるなのではないでしょうか。

 

腹が立ったからとそのたびに喧嘩していては社会ではやっていけません。

なぜなら喧嘩をするのも怒るのもエネルギーと時間が膨大にかかる大事件だからです。大人は忙しいし、もっと大事なことがたくさんあるので、なるべく穏便に話を終わらせてしまいたいと思います。

面倒ですしね。

 

わたしの嫌いなひとも、職場のひとですので、いちいち応戦はしません。

その場をぐっとこらえて、あーーーーーいやなひとだなあ、と脳内でそのひとが自転車で転ぶところを想像したりしてやり過ごします。

 

でもこれ、確実に消耗はするんです。

やり過ごしているからって平気なわけじゃない。

もう何もかも投げ出して帰ってしまいたい、と思うこともあるし、そのひとと関わらないといけなくなると思うと仕事に行くのすら嫌になります。

 

嫌いなひとを好きになることは(よっぽどの事件がない限り)(強盗犯から救ってもらったとか)不可能なので、もうそこはどう折り合いをつけていくかになってくるわけですけれど、今のところわたしがやっていることは「必要以上に近寄らない」「とりあえずあいさつはきちんとする」くらいなので、今まさに疲弊しています。

そりゃ風邪もひきますがな。

 

最終的にすーちゃんは仕事を辞めて、転職することでそのひととはもう会わずに済むわけですが、ほんとうに限界になったらそれもありかなと思います。

わたしの場合は向こうが「もう辞めるつもり」って言い出してから、早5か月がたつので、とりあえずもうしばらく辞めてくれるのを待っていますが。

 

こう、言わなくてもいいことをなんで言うかな、とか、同じこと言うにしたって言い方……、とか、そういうひとつひとつはちいさなことであっても、積み重なると「あのひと嫌い」になるわけで、気にならないひとは嫌わないでしょうからそういうのも含めて相性なんだろうなと。

つまりは向こうもわたしのことを嫌っている可能性は高いんですけれど、別に好かれたいわけじゃないからそこは別にいいとして、嫌い×嫌いになるともうお互いいい気持ちになることがひとつもないから、どんどんダメージを負うだけになるじゃないですか。

それが憂鬱なので、なるべく表面上だけでも嫌いオーラ出さないようにしているんですけれど、なんでこんな気を遣っているんだろう嫌いなのに……ってたまに思ってしまって、意識すると余計疲れたりして、そして仕事に集中できなくなったりして、府のループに陥っていくんですよねえ。

 

うまいことストレスを発散できたらいいんですけれど、新しい職場でまだ愚痴れるような相手もおらず、ひたすら帰って来てから趣味に没頭するようにしています。

 

あとほんとうに限界なときは推しのイベントのことを思い出して、エネルギーに変換しますね。

思い出からもらうエネルギーって尽きないんだろうか。

 

いずれにしても「嫌い」を気分転換するには「好き」が絶対なんだろうなあ。

好きなもののことだけ考えていきていきたいよ。

 

早く推しの舞台のDVD出てくれ。