昔のオタクのブログってほぼコラムだった気がする

日曜日に東京から友人が会いに来てくれました。

夜行バス10時間の道のり……遠いな……改めて遠い……

きりたんぽやだまこを食べつつ、某ソシャゲのメインストーリーを読ませてもらって久しぶりにオタクごとで満喫しました。やはりアイドルはいい……!!

ストーリーほんとうによかったので地道に自分でも進めてみようと思いますが、何分ゲームがへたすぎてすぐ行き詰まる……。

速度制限から脱出したら本格的に頑張ります。今は自宅じゃないと無理。

 

で、日曜に会ったときに彼女が「今友だちとコラムを書いて交換してる」という話をしてまして、きっかけについては彼女の友だちが身バレしそうなので控えますが、テーマが推しについて、なんだそうです。

彼女が書いたものを「これはコラムではない、プレゼンだ」「そもそもコラムとプレゼンはどう違うのか」という論争になっているらしく、興味深く聞いてたんですけど。

結論から言うと推しを推すために書いたならそれはプレゼンになるよね、推してるんだもの。

同担拒否っていうのがわたしにはどうしても解せなくて、推してるんだから他にも好きになってもらわないと意味ないじゃん、くらいに思ってたんですが、世間的には推しって言葉は違う意味なのかな~~。

もともとAKB関連で出てきた言葉だったような気がするんですけど(全然違ったら申し訳ない)あの子たちは人気が仕事に直につながるし、数字としてわかってしまう世界軸のアイドルだったので、「推す」ってことはその子の人気をあげるためにアピールするってことだと思っていて、イコールオタクによるプレゼンが重要な力になってたんだろうなと。

ただそこから派生して、若手俳優とかバンドとか、さらにアニメや漫画、ゲームのキャラとか、とにかく好きなものに関して言うようになってきてからは、また違う意味なのかなとちょっと思います。

というかひとによって使い方違うからよくわからない。

ので、わたしにとっての「推し」というワードの解釈としてですが、「推し」について好きなところを書くとするとプレゼンになるし、「推し」について考えているときの「自分」のことを書くとするとコラムになるんじゃないかと。

「推し」のこういうところがよくて、こういうところをもっと知ってもらいたい!!素敵でしょ!!みんな好きになって!!!がプレゼン。

「推し」に出会ってマジで人生変わった!!毎日ハッピー!!!いくらでも課金する!!!美意識も高まった!!!仕事も充実!!がコラム。

かなあ。

 

でも昔三浦しをん先生がオダギリジョーのファンで、オダジョーの話ばっか書いてたけどあれはエッセイだったな。

「オダジョーとわたし」みたいな内容だったけどエッセイだった……あくまで日常の中の一部として書いてたわけでテーマってわけじゃなかったからかな。

 

「推し」についてのプレゼンとコラム、分けて書いてみたらどうなるのかな~~~。

そもそも二次創作もわたしはプレゼンだと思って書いてる……わたしはこういうの好きなの!!萌えるやろ!!!ってつもりで同人誌も出してるし。

でもそのわりに最近は新たな交流をしようとしなくなったので、プレゼンになってるかどうかもわからないんですよね……もうおばあちゃんだから若者ときゃっきゃできないっていうか、世界が広がらない……ジャンルはどんどん広がってるのに。

 

「推し」についてのプレゼンは常にどのジャンルからも募集中です。

案外簡単にハマります。沼には浸からない、温泉を練り歩くスタイルのオタクです。